6月26日の朝7:27父が永眠しました。
7月2日通夜、3日に葬儀・告別式をすませました。
父は、6月27日が誕生日で、満90才の前日でした。
ここ数年、数週間入院したり、退院したりのくりかえしで、今回は、昨年10月からの入院で、一番長かったです。
4月に調子が良くなってきたので、退院したのですが、体の自由がきかなくなったので再入院しました。
院長は、「老衰だから良くなることはないよ」と言っていました。
私は、その言葉がいやだったので父の遠隔ヒーリングを時々するようにしました。
入院して2日後には立ち上がれるようになったのですが、入浴、選挙の投票に連れて行ってもらったりしてから急に動けなくなってしまいました。
それ以来、立ち上がることが出来なくなり、病院のベットで横になったままです。
5月1日 私の誕生日、令和元年になった朝、病院に様子を見に行ったら、看護師さんから
「今の状態だと後2,3日だと思います。会わせたい人に合わせて置いた方が良いです」
「それと、夜の付き添いをお願いしたいです」といわれ、
家内と、従兄弟に当たる人が1日交替で付き添ってくれました。
【後、3日】と言うのがいやだったので、遠隔ヒーリングをしました。
元気になって、帰宅すると未来を造りました。
3日と言われたけれど、元気が出てきて、6月25日まで話が出来ていました。
ただ、食事がだんだん出来なくなり、最後の2週間は、点滴だけとなりました。
でも、声は小さくなりましたが、憎まれ口を言える位の元気はありました。
6月25日の朝、様子を見に行ったら、顔色が少し変わってきて、
話を聞くと、点滴をするのも辛いようだったので
【元気で動けるようになる】から【死ねるエネルギー】に変えることにしました。
【死ねるエネルギー】とは、全てを宇宙にお任せして、寿命であれば、安らかに死ねるようにとエネルギーを変更しました。
そして、6月26日朝、6時45分頃に病院に行き様子を見たところ、
目は、つむっていましたが、いつものように、手を色々と動かし、両膝を立てたり、伸ばしたりして動かしていました。
ただ、顔の肌の色から血の気が引いているように見えました。
もう、そろそろかなと、もっても、後、1日か2日くらいかなと思えました。
家内が連日付き添ってくれていたので様子を聞いているうちに、手を動かすことを止めて、
曲げていた両足を伸ばして、お腹の上で両手の指を組んでいました。
呼吸が静かになっていきました。
胸が膨らまなくなっていきました。
大丈夫かな?
と、思ったら、
一回、呼吸をしたので眠ったのかなと思いました。
これが最後の一呼吸だったようです。
まるで、寝ているようでした。
90歳の前日、まる90年間を生き抜いた人生でした。
死は、
肉体とエネルギー体が離れるとき、
エネルギー体は、宇宙に吸収されて、宇宙意識に戻る。
喜ばしいことであると分かっているつもりでした。
ですから、告別式の時に、喪主として挨拶しても、自分自身、泣くことは絶対にないだろうと思っていました。
でも、
挨拶の時に、勝手に涙が出てくるのです。
挨拶がスムーズに出来ないのです。
これが、人として現実界にいるもの同士が、現実界で、別れるときの感情なのかと思いました。
妻に「どうして涙が出るのだろう? 泣かないと思っていたのに」
と、言ったら、
「昔、言っていたじゃない! 【男が泣いて良いときは、親が死んだとき、家族が死んだときだけだ、簡単に泣くな!】と。」
無言で「だから、泣いたって良いんじゃないの」と言ってくれているようでした。
父は、
曲がったことが嫌いで、曲がったことをしている人には、づけづけ言っていました。
人が困っていれば手を貸していました。
借金を返済できないでこまっている人には、代わりに返して上げて、後で自分に返済してもらっていました。
その方は、ご夫婦で何かあれば父の元に挨拶に来ていました。感謝を忘れないご夫婦です。
父の兄弟が仕事を始めるのに借金が出来ないで困っていれば、他の兄弟が断ったのに、
代わりに借金をしてやったこともあったようです。
そのおじさんも昨年他界しましたが、盆暮れの挨拶は欠かさなかったです。
裏切られたこともありました。
昭和、平成を生き抜いてきた人です。
貧乏のどん底から、3人の兄弟を育ててくれました。
私が中学1年生の時だったと思います。
雨の降る中帰宅している途中で、畑の真ん中でトラックが横転し、その下敷きになっていた女の人が母だと分からず帰宅してそのことを父に話したら、一目散に出て行きました。
その後、
母の入院、手術、一命を取り留め、別の病院でリハビリのために数ヶ月入院。
その間、
私たち兄弟の弁当作りから、炊事洗濯、仕事、何から何まで頑張ってくれていました。
今だから思います。
何一つ文句も言わず、頑張っていたのだと、凄い父だったと。
普段は、嫌なことばかりが目につく父でしたが、尊敬しています。
そして、感謝しています。
祖父が88歳、祖母が89歳だったと思います。
長生きの家系のようです。
私は、元気で120歳まで生きる予定です。
宇宙寿命が尽きるまで、元気で一人でも多くの方に「五次元ワールド」のことをお伝えして
人生を楽しんでいただきたいです。
0コメント